小野寺 愛 ピースボートこども家 [前編]先入観や差別心のない子ども時代にこそ世界を見て欲しい | Glolea![グローリア]

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[前編]先入観や差別心のない子ども時代にこそ世界を見て欲しい

小野寺 愛さん(Ai Onodera)
「ピースボート子どもの家」代表
小野寺 愛さん(Ai Onodera)
国際交流NGOピースボート洋上のモンテッソーリ保育園「ピースボート子どもの家」代表。「平和は子どもからはじまる」を合言葉に、講演活動や地域での親子イベントを企画・運営。共著に「紛争、貧困、環境破壊をなくすために世界の子どもたちが語った20のヒント」(合同出版)ほか。2児の母。「Glolea! 子どもと一緒に地球一周アンバサダー」としても連載更新中。

地球の「いま」の姿にふれ、世界中の人々と交流しながら世界一周の船旅をコーディネートするNGO「ピースボート」。親子で世界を体感したいという声に応えて生まれた、洋上のモンテッソーリ保育園「ピースボート子どもの家」の代表であり、ご自身も3児のママである小野寺愛さん。ワールドワイドに活躍する彼女の子ども時代からのヒストリー、世界に踏み出すきっかけ、「ピースボートこども家」誕生秘話、子どもの未来と世界への想いを語っていただきました!

洋上のモンテッソーリ保育園「ピースボート子どもの家」でプログラムコーディネーターをされている小野寺愛さん。どんな子ども時代を過ごされたのでしょう?

親が転勤族で、主には国内を転々としていましたが、小学5年生の時にアメリカのコネチカット州へ

 

そこで2年間を過ごして、帰国と同時に日本の公立中学校に入学したんです。自分なりに考えて、日本の中学生らしく見えるように“おさげ”で登校しました。そうしたら、先生から呼び出されて「ピンクのゴムは外しましょう」と注意を受けて(笑)。

 

「ピンクのゴムはダメなんだ…なんでだろう?」と思いました。でも、ここはそういう場所なんだな、と受け入れることも苦手ではありませんでした。「ここ(日本)ではたまたまダメなだけで、ダメじゃない場所(アメリカ)もある」と知っていたので、日本の中学ならではのルールも「それはそれ」として受け入れることができたのだと思います。 

 ピースボートこどもの家 小野寺愛さん

 

もしあの時、「なんで?」という疑問の持って行き場がなかったら、思春期の持て余したエネルギーをただ「反抗する」ことで発散させていたかもしれません。思春期前の異文化体験で、「(風習や文化を含む)異なるもの」を受け入れることに抵抗感がなかったから、そうしなくて済んだ。

 

反抗期もなく、自分も楽だったのは、異文化体験によって、様々な価値観があることを知っていたおかげだと思います。小学校時代の経験で培った「みんな違って、みんないい」というお気楽な性格には、今も助けられていますね。

小学5,6年とアメリカで過ごして英会話はどのくらい上達しましたか?

小野寺愛さん 洋上モンテッソーリ保育園「ピースボート子どもの家」

洋画を字幕なしで観ることができるくらいにはなっていたし、自分は英語ができると思い込んでいました。でも、自分のなかにあった単語などは小学校レベルなので、たとえば裁判ものの会話などは理解ができていないことに途中で気がつきました。

 

親に頼んで、中学2年生から大人に混ざって英会話教室に通わせてもらったんです。母曰く、小さい頃はわりと“のほほんとした子”だったにもかかわらず、自分の意思で動いたのでビックリしたよう。流されるだけではなく、意識的に選んでいこう、と思い始めたのも、この頃からだったように思います。

 

中学卒業後は、自分らしくいられる場所を求めて、国際色豊かな私立高校へ。上智大学では英語学科を専攻しました。それでも、帰国してからずっと“日本の当たり前”には若干の居心地の悪さを感じていました。大学に入ってウインドサーフインを始めたのは、海にいる人たちがオープンマインドでサバサバしていて、一緒にいると心地が良かったからかもしれません。

 

毎日、海に通うような大学時代を過ごし、3年生になって就職活動が始まっても、自己分析シートに書くにふさわしい夢がない。海と旅が好きでそれが仕事になればいいと思っていましたが、就職活動で夢を聞かれて「プロサーファー」「旅人」と言うわけにはいきませんから(笑)。

 

そこで、自分探しの猶予期間のつもりでカリフォルニア州サンディエゴに留学しました。国際留学生が集まるアパートメントで1年間過ごし、世界中から集まった友人たちとハウスシェアした経験が楽しすぎて、翌年は半年間バックパッカーに。

ピースボートとの出会いはいつ?
そしてピースボートのどこに魅力を感じましたか?

オーシャンドリーム号

▲地球一周を彩るオーシャンドリーム号は、
1981年にデンマークで建造された本格外航客船。

ピースボートを知ったのは「いい加減、就職しないと…」と思っていた大学6年生、21歳の時でした。

 

ボランティア通訳として仕事で乗船すれば、無料で地球を1周できると知って、迷わず面接を受け、飛び乗りました。社会問題に対する意識が芽生えたのは、ピースボートに参加してから。紛争をしているイスラエルとパレスチナから、自分と同じ年齢の留学生が乗ってきて、彼らの通訳を担当したんです。紛争していることは知ってはいましたが、自分とは遠い世界の話でしかなかった。紛争地出身の友達ができたことで、紛争が初めて他人事でなくなりました

 

ケープタウン(南アフリカ)寄港また、南アフリカのケープタウンに行った際は、白人が住むプール付きの大邸宅街から、車で30分ほどしか離れていない土地に、トイレもないようなプレハブ小屋が並んでいました。

 

タウンシップ(旧黒人居住区)にホームステイさせてもらい、10年前に終わったはずの人種隔離政策(アパルトヘイト)が、依然続いているかのような現状を目の当たりにしました。黒人の失業率は高いままで、成人人口の5人に1人はHIVと共に生きる人たち。経済的には貧しくても、心が豊かであたたかい家族に受け入れてもらい、「人が生み出した格差」が他人事でなくなったのも、このときでした。

 

 

ピースボート タヒチ寄港そして、タヒチでは先住民の村にホームステイさせてもらいました。

 

村の長老が「タヒチに観光客が訪れるようになってから、プライベートホテルがたくさん建った。それは、どういうことかわかるか?」と言ったのが印象的でした。

 

今まで誰のものでもなかった海で、みんなが漁をして暮らしていたのに、それができなくなった。プールで大量に使う水のせいで、水道代は10倍になった。「タヒチに来るなとは言わない。ここにもともと住む人たちの暮らしに想いを馳せてほしい」と。

 

長老とはその後も連絡を取り続けていて、自然の感じかたや、人生の哲学をたくさん教わりました。自分の消費行動が、世界のありかたにどうつながっているかを意識するようになったのも、この出会いからです。

タヒチの先住民長老、ガブリエル・ティティアラヒさんと

▲タヒチの先住民長老、ガブリエル・ティティアラヒさんと

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