注目度があがりはじめている幼少期からの「グローバル教育」。様々なプログラムで自らをグローバル教育の実験台に世界100都市以上を訪れ、世界各国の人たちと学ぶ経験をされてきた一般社団法人グローバル教育推進プロジェクト(GiFT)専務理事・事務局長/グローバル教育コーディネーターの辰野まどかさんに、ポジティブに世界とつながること、世界平和への想い、ママ&キッズでアウトオブボックス体験ができる「親子留学」への期待についてお話をお伺いしました。
≫[前編]幼少期から身近にあった世界…そして、世界平和実現のために「グローバル教育」を決意するまで
高校3年生で、まだ当時認知度の低かった「グローバル教育」に目をつけた辰野さん。その後、どう行動されたのですか?
世界平和を目指してグローバル教育を盛り上げる、と熱くたぎる思いで決意したものの、「日本がどうあるべきか」「21世紀はどうあるべきか」を語り合える環境はありませんでした。かといって、その世界を知らなかった頃の高校生には、もう戻れない。
そこで、高校生ながら、大学生や社会人が主催するシンポジウムや勉強会に参加するようになります。すでに世界とつながっている先駆者の方々とつながって刺激を受け、大学1年の時には、自分で多文化をつなぐことを目的としたサークルを起ち上げたり、大学を休学して、1年間、国際教育プログラムに参加したり。
まずは、自分自身のグローバル教育のカリキュラムを組んで、さまざまなボランティアやスタディーツアーに参加。大学在学中にアジア、アメリカ、アフリカ、ヨーロッパ、オセアニア等、100都市以上を訪れました。
大学時代の浴びるような異文化体験を通じて、一番印象に残っている出来事はなんですか?
国際社会において日本人は、プレゼンテーション力がない、度胸がない、ビジョンがない、英語が話せない……といわれます。そして、それらを身につけることが、グローバル教育の目的であるかのようにうたわれがちです。が、まるで違います。
私はこれまでにもたくさんの国際教育プログラムに参加、参画してきましたが、こんな経験があります。とあるプログラムに参加した際、日本人の参加メンバーの中に、恥ずかしがり屋で、英語を話すのが苦手な日本人の女の子が参加していました。いわゆる国際社会における典型的な日本人です。
プログラムの最後に「誰が一番の親友か」を参加者全員がそれぞれに発表する機会がありました。すると、その女の子の名前が、一番多く挙がったんです。
思い返せば、彼女は落ち込んでいる人の横に、ただじっと黙って座っていました。元気のない人に「大丈夫?」とよく手紙を書いていました。強い主張がなく、英語が話すのが苦手な彼女に、世界中の人が心を許して信頼した。
あの時の彼女のように「世界と戦える人ではなく、世界とつながることができる人」を育てることこそが、真のグローバル教育です。グローバル教育プロデューサーという職業に就いて、ますますその思いを強くしています。そして、世界とつながれる人が増やすことが、世界平和への近道だと確信しています。