日本人に足りない、英語力よりも大切なこと

三間瞳(Hitomi Mima)
Glolea! English Negotiation アンバサダー

初めまして。子どもグローバル教育推進アンバサダーとしてレポートをお届けすることになりました、三間瞳です!

 

私には、日本の教育システムは根本から変えなければいけない、という強い危機感があります。その想いに駆られ、「なんとかするために!」と、会社員を辞めて教育業界に足を一歩踏み入れようとしております。

 

いつのときも、「とにかく、行動してみる」がモットー。

 

「意志あるところに道は開ける!」と信じて。

 

これからの教育をどうしていくべきか、自分たちに何ができるか、について、連載を通して、皆さんと一緒に考えていけたら幸いです。

 

どうぞよろしくお願いいたします♪

 

第1回目の今回は、私が、日本の教育システムに強い危機感を抱くきっかけとなった原体験を綴ってみたいと思います。

 

【原体験1】

 

最初の衝撃は、ニューヨーク語学留学で。

 

大学2年生終了時。大学を1年休学しての、強行行動。

 

このときも、「とりあえず、行ってくる!」的な(笑)。

 

そこは、世界の文化を凝縮してすべて詰め込まれたような、とても不思議なマルチカルチャーな空間。

日本人に足りない、英語力よりも大切なこと

「本場ニューヨークで成功したる!」と、自分の夢に向かって、全力で体当たりしている人間がそこらじゅうにいる。

 

街には常にいい緊張感があって、刺激的。

 

街に溢れる”パッション”の強さに乗れないものは、弾かれて飛ばされてしまいそうなくらい。

 

「君は何者なんだ。どんな人間なんだ。

 

何を感じて生きてきて、何をしにニューヨークに来たんだ」

 

という問いを、街全体から全身に嫌というほど刺されるように浴びる。

 

【原体験2】

 

二番目の衝撃は、同世代から選抜された世界のエリート学生との出逢い。

 

日本の大学に戻ってきてから、大学対抗国際交渉コンペティションという大会に、日本代表として参加(当時はシンガポール開催)したときのこと。

 

各国から選抜されただけあって、思考力や交渉力は抜群なことはもちろん。英語の流暢さも、哲学やら心理学やら様々な国の宗教のことまでの知識の幅広さと深さも素晴らしい。しかし、何より目を見張るのは、そういった知識を「自らの意思で」学んでいて、自分の言葉で楽しそうに語るところ。やっぱネイティブの英語には追いつかないな〜とかよりも、そのことに、ひたすら悔しかった。

 

これらの2つの体験がなぜ、これほどに私の心に響いたのか。

 

「自分自身を追及する」

 

「自分の人生をよりよく、自分だけのものとしたい。」

 

そうか、そういう、心の底から湧き出るような強い、強いモチベーションに、日本ではあまり出逢ったことがなかったからだ、と。

 

「生きる」ということに、そして、「自分の人生を切り開いていく」ことに、とても貪欲であるからだ、と。

 

ああ、これか。私が日本で感じて違和感。

 

私にも、日本にも、徹底的に欠けていたもの。

 

それは、「自分という個の存在を意識すること」だったのかぁ、としみじみ。

 

そりゃ、日本には、「和を重んずる」とか「察する」とか、ステキな文化があり、この「察してくれる」感覚が、とてつもなく嬉しいときもある。

 

「日本ほど素晴らしい国なんてない!祖国に帰りたいー!!」と思ったことも何度もある。

 

だけど。

 

「和を重んずる」ことのために、みんな一律な人間になる必要なんて全くないわけで。

 

日本では、「いい大学に入るため」の偏差値偏重な没個性な教育がメイン。

 

「あなたはどう考える?」という問いはなく、詰め込み型の丸暗記。

 

自分の意見をもち、それを発言するという機会は、残念ながらほとんどない。

 

やれと言われたことだけをやっている、

 

人に与えられたレールに乗っからせるだけの教育。

 

これでは、貪欲に自分の人生を生きている、世界のエリート学生にかなうはずがない————。

 

ショック。

 

本当に。ずしんと。

 

頭を鈍器で殴られたような?(殴られたことがないからわかりませんが。)

 

「英語が重要」と言われ、英語教育の重要性は、嫌というほど取り上げられている昨今。

 

もちろん、英語教育は、世界に目を向けられるチャンスを与える意味でも大切。

 

私も、正しい英語教育は、閉鎖的な教育環境を変えていく原動力にもなり得る、とも思っています。

 

しかし、英語教育そのものよりも、

 

子どもたちの無限大の可能性を封じ込めているかもしれない、

 

偏差値偏重の教育にこそ、根本の問題があるのでは?

 

自分という個の存在を意識させ、自己肯定感を与え、自分自身で考える力を身につけられる教育への変換こそが必要なのでは?

 

英語教育だけではない。その先にあるもの。

 

そこを見据えて、これからの教育を語っていかなくては、と。

 

次回は、「日本の偏差値偏重教育」について、

 

掘り下げてお話できればと思います!

記事をお読み頂きありがとうございました!

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この記事を執筆したGlolea!アンバサダー

三間瞳(Hitomi Mima)
Glolea! English Negotiation アンバサダー
グローバル教育

大学在学中に参加した国際交渉コンペで出逢った世界のエリート学生を前に、日本人の「交渉力」及びそれを支える「自己表現力」が不足していると痛感。IT企業の法務部門にて国際交渉経験を積んだのち、現在、English Negotiation マスターとして、英語交渉術を教える「THE 交渉術」を主宰、交渉術についての情報を発信している。

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