教育は、「時代に合わせて」進化してゆくべき。日本の偏差値偏重教育の改革を!
- 三間瞳(Hitomi Mima)
- Glolea! English Negotiation アンバサダー
こんにちは! 子どもグローバル教育推進アンバサダーの三間瞳です!
今回は、日本の偏差値偏重教育って? について思うところを書かせていただきます。
目次
いい大学って? 良い企業に就職するってどういうこと?
いい大学に行って、いい企業に就職する
日本に流れる、一定の価値観。
その「いい」大学の頂点とされている東京大学の入試問題は、世界一難しいのでは、とも言われるほどの難問。
良問という意見もあるので、試験内容の善し悪しはおいいて、基本は、暗記中心、正解を解かせる問題であることは変わりありません。
私大での人気校、早稲田・慶応への入学へも、暗記マシーンとなることを余儀なくされる奇問が出題されることで有名。
私の父の団塊世代では、一部の受験生・受験生の親の間では、
東大に入らずは人にあらず
というほどの空気感があったそう。
そのぐらい、「東大に入る」ということは、「人生の勝ち札」だったということか。
明治維新直後・戦後には偏差値偏重教育も必要だった−−
確かに、明治維新直後の立国や、戦後復興が至上命題であった時代には、先陣の教えをしっかり聞いてひたすら真似していく姿勢が合っていたのだろう。
頭脳の優れた学生を選抜し、国を支える官僚に育てる。国としての基盤が不十分なときに、
新しいことにチャレンジしろ
疑ってかかれ
などがメインの教育では、そもそも国が成り立っていなかったかもしれない。
戦後約70年を迎える今も、日本は偏差値偏重教育を続けて良いのか?
しかし、今は、戦後約70年を迎えようとしている。
途上国ではなく、先進国として世界を引っ張る立場の日本。戦後と同じ教育で良いはずがない!
考えず、発言せず、な日本人は、政府やメディアには都合のよい存在かもしれない。
日本の経済成長を支えた教育が、今は、成長を阻む足かせとなってはいないか?
可哀想だな、と思うのは就職活動に望む学生たち。
就職のために、と盲目的に大学受験をさせられて、それでいて大学でも、考えさせる教育をするわけでもなく、
教授からの一方通行な授業がメインでは、就職活動をしたって、当然、「自分が何をしたいのかわからなく」もなると思う。
文系は特にその傾向が強い。わからないから、世間にある、いくつかの「標準的な生き方のレール」の中からどれかを選んでいく。選ばされている。
情熱を持ち、自己肯定感を持ち、個々の潜在能力を開花する
日本の教育のあり方を今問いなおす時期にきている
そうやって、「パッション」もなく、なんとなく「選ばされた」形で生きていれば、困難を乗り越えるモチベーションも生まれないし、なにより個々人が持っている潜在能力が開花されない。
才能が埋もれていく。
そして、自己肯定感が生まれない。だからこそ、ニートや自殺が増える。
日本の悪しき構造。
時代は目まぐるしく変わり、正解なんてない世の中。
そもそも、暗記なんて、我々人間は、コンピューターにかなわないのだ。
世界の多様なソースから情報を入手し、
問題解決をしていく人材を育むために
バイアスを減らすため、世界の多様なソースから情報を入手し、
自分で問題を設定し、解決方法を考え、検証していく手法を学ぶ。
この過程で、自分に足りないと思った知識を勉強・体験して、解決精度を上げていく。
そうして
世界に対して、自分に何ができる?
と考える子どもたちを増やしていくこと。
自分という個の存在を意識し、自分を見つめ、論理的な思考力と実証力を持つ子どもたちを増やしていくこと。
もう、一刻も早く、正解を教える学問観を捨てるときが来ている。
皆さんは、どう思われますか?
記事をお読み頂きありがとうございました!
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この記事を執筆したGlolea!アンバサダー
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- グローバル教育
大学在学中に参加した国際交渉コンペで出逢った世界のエリート学生を前に、日本人の「交渉力」及びそれを支える「自己表現力」が不足していると痛感。IT企業の法務部門にて国際交渉経験を積んだのち、現在、English Negotiation マスターとして、英語交渉術を教える「THE 交渉術」を主宰、交渉術についての情報を発信している。